源氏物語と阿波人形芝居
「松風、薄雲」より「明石姫 別れの段」
千年の物語が傾城阿波鳴門に響き合う
物語のあらすじ
須磨、明石での謹慎を解かれた源氏は晴れて都に戻りましたが、その時に明石に残したのが、この地で出逢い契りを交わした明石の君。明石の君は源氏の御子を身籠もっていました。
それから三年、女子の通過儀礼である袴着の儀を執り行い、ゆくゆくは入内させるための教育を施したい源氏。そのためには、姫を都に迎え、正妻格の紫上の養女にし、姫の格を上げるしかないと考えます。
母明石の御方は、それが姫の将来のため とは思うものの、可愛い姫と引き離されて過ごすことを思うと胸が張り裂ける思いです。京の源氏邸に一緒に出向くのも わが身分を思うとはばかられます。父入道は、御方を妻の尼君と姫、乳母とともにまずは京都の 西、嵐山あたりの家に移らせます。ここで 三年ぶりに源氏と再会を果たし、そして姫を預ける決心をするのです。
寒い日 別れの時がやって来ます。何も知らない姫が「御母様もはやく」と御車に乗り込むのを見送る母の心、 酷なことと思いつつ姫の未来を信じる源氏。都では、紫上が可愛い姫を得て夢中になります。
文楽の先駆けとなった阿波人形浄瑠璃にはやはり子別れのあはれを誘う「傾城阿波鳴門」という名作があります。
京都を拠点に源氏物語を京ことばで語る山下智子が、阿波本藍染めに出会い、その美しさと文化財としての尊さに感動し、また阿波十郎兵衛屋敷での公演依頼を受けた折、伝統芸能である阿波人形芝居の皆さんに、子別れの愁嘆場に重なるこの場面を一緒に演じていただけないかと思ったことがこの企画の始まりです。
京ことば源氏物語とは
古典の至宝 源氏物語は、千年前の京の言葉で綴られています。京ことば源氏物語は、京の国文学者 故中井和子女史により、物語の舞台京都の気配そのままに、百年ほど前の京ことばに訳された現代語訳です。女房(高位の女官)が垣間見た宮中での出来事を、問わず語りに語るのが、本来の源氏物語、小説の地の文の様でなく、女房の語り口調で展開してゆきます。
当時、本の複製は写本でしか得られず、物語は語り女房が代表して語って皆に聞かせたもので、貴人にお仕えする立場にある女房の心身から発せられる物語は、黙読にはない臨場感があったでしょう。
プロジェクト
早速「阿波文化・芸術傅育の会」という実行委員会が発足、「源氏物語と徳島の郷土文化の融合を希求して! 」という大きな目標を掲げ、1848年(嘉永元年)結成の上村都太夫座(寄井座)の9名が源氏、明石御方、明石姫として物語のいくつかの場面を演じ、そして、平安装束のかさねの色目を、城西高校植物活用科 阿波藍専攻班、2,3年生の将来の徳島を担う若者が先生の指導のもと染め上げるという、これまでにない伝統の融合が実現しました。